劇場版感想記録

劇場版名探偵コナンの長めの感想をまとめて記録します

傑作の脚本について

過去も今も繋がっている。必要なキーが過不足なく組み込まれた脚本がすごい。


これまで暗黙の了解みたいなものとして、劇場版の世界は原作とはまた異なる独自の軸として捉えてきたところがあったので、今年初めてはっきりと原作から続いてる時空で描かれることに驚いたのと、どうなるんだろう?という戸惑いもちょっとだけあった。


元になる事件が描かれたのはもう20年くらい前であり、さらに今回メインに据えられてる高木佐藤は初期からのレギュラーなのに対し、警察学校組はここ数年で一気に展開された設定。

原作屈指の名エピソード「揺れる警視庁」から続く時間軸に、こちらも人気の高い長寿シリーズの「本庁の刑事恋物語」もベースになっている。さらには番外編にあたる警察学校組「WPS」と、過去一で関連エピソードの多い劇場版になったんじゃないだろうか。

とにかく要素が多いし、メインキャラも恐らく過去最多と言える。原作の後付けで作られる話なので、ともすれば蛇足感だったり無理矢理ねじ込んだ部分が出てきてしまう怖さもあったと思う。

そんな多くのキャラクター、彼らに纏わる過去のエピソード、そういうものがハロウィンの花嫁では、全て「必要なもの」として組み込まれていた。

何一つ欠けても、誰一人欠けても成しえなかった結末。それがすごい。


劇場版オリジナルキャラクターであるエレニカたちも含めて、プラーミャというテロリストに立ち向かう上で無駄な人が誰一人としていなかった。

全員が、あの窮地を乗り越えた先のハッピーエンドに必要だった。

だから誰のファンが見ても「役目があってそれを果たしてくれた」と思えるのでしょう。

さらにその個々の必要性が、過去も現在も地続きで全部繋がっている。すでに亡くなっている人、今を生きている人が、そんな隔たりも感じさせることなく、彼岸も此岸も一緒になって成し遂げたんだ、と思わせてくれる描き方。


故人とのエピソードに悲しみや寂しさは付き物だけれど、過去を振り返る描写は時系列の遡りがとても自然で、とてもいきいきと動いている姿のまま描かれていた。

人は死んだら思い出の中でしか生きられないけれど、思い出の中の彼らは別に悲しい顔なんてしてないですものね。

大切な人たちが、一番その人らしく生きていた時の記憶そのまま鮮やかに残されている。

故人のエピソードを描く上で、ファンが求める大正解を見た気持ちです。


さらに、事件解決のために必要な要素を隙なく配置する一方で、楽しませるための仕掛けも至る所にある。

例えば回想シーンひとつでも過去の事件のオマージュが散りばめられ、仮装した一般人の中にはさりげなくナイトバロンが紛れ、事件の合間には高木佐藤以外の本庁カップルたちのシーンもちゃんと見せてくれています。

隠し要素的に含まれる、みんなこの話読んでるよね?見たいよね?というサービス精神。それに気づいた時のなんとも言えない嬉しさ。このために何度も通いたくなるし、何度見ても飽きさせない山場のある最初から最後まで中身いっぱいの映画。

大倉先生、よくぞここまで仕上げてくださいました………


そんな今作の過去も現在も一体になる繋がりの要素のひとつとして、やはり何度も書いているように原点回帰の演出があると思います。

初見感想でも書いたクライマックスで流れる「キミがいれば」はその最たるものですね。

自分の記憶では、最後に作中で流れたのが10周年記念作「探偵たちの鎮魂歌」だったので、あれからもう10年以上も経った今、25作目での復活です。

新しいアレンジと共に、変わらない歌が流れてくる。エンドロールでクレジットされた作曲者・大野克夫の名前に、これまでの24作を支え続けた方への真摯な尊敬を感じました。


物語としても制作面でも、同じように言えることが、過去を過去として今で上書きせず、等しく大切なものとして共存している。

ふとしたところでさりげなく重なっている。

何かが何かを邪魔することのない、隅々まで行き届いた細やかさ。

これを愛と言わずになんと呼ぶんだろう。


25作目の傑作は、「過去よりも」傑作ではない。

原作とテレビアニメ、劇場版24作、名探偵コナンの築いてきたこれまでが作ってくれた傑作なのです。