劇場版感想記録

劇場版名探偵コナンの長めの感想をまとめて記録します

誰もが納得するハッピーエンドの訳

※ふせったー再掲



ハロウィンの花嫁という作品において、報われてほしい人たちが報われて、救われてほしい人たちが救われた。

過去にやり残したことにかたをつける。それがこの映画のハッピーエンドたる所以だと思うのです。

昨日の感想を綴った文章の中でも書いたのですが、ハロウィンの花嫁は、過去に辛く悲しい思いをしてきた人に寄り添ってくれる物語。家族を亡くした、友人を亡くした、尊敬していた先輩を亡くした、そういう喪失と共に、あの時ああしてれば、という後悔を抱く人も少なからず存在している。

特に印象的に描かれていたのが息子を殺されたエレニカ。あの時燃え盛る火の中に飛び込んででも助けたかっただろう、愛する夫や子供が死んでいくのを成す術無く見ていることしかできなかったというのは、彼女にとっての大きな後悔でもあったと思う。民間組織を立ち上げたのは理不尽に命を奪われたことに対する復讐のためだけれど、エレニカの本当の願いは「死ななくても良かったはずの夫や息子を助けたかった」だったはず。彼女たちはプラーミャに復讐するために悪事も沢山働いた。それは決して許されることではないし、これからも消えない事実ではある。ただ、そんな彼女をただそっと抱きしめることで、これ以上罪を重ねさせることなく本当の願いを叶えさせた。その選択を与えたのが江戸川コナンという一人の少年。

そうして助けられたエレニカやその仲間たちは探偵団の子供達を助け、渋谷に集まった罪なき大勢の人たちの命を救った。最後、探偵団や村中さんがエレニカ達に助けられたお陰だ、と話すシーンが挟まれたこと、あれでちゃんと彼女たちに「あなた達が助けた命がある」という救いを用意してくれた。

過去に死なせてしまった復讐者に、今度こそ生きる選択肢を与えることができた江戸川コナン。過去に助けられなかった息子と同じ年頃の子供達を、今度こそ助けることができたエレニカ。後悔という形で時を止めていた時計を、やっと自分たちの手で進めたのです。


そしてもうひとつ、過去のやり残しに決着をつけた人。それが降谷零と、彼の同期達です。

三年前に取り逃した爆弾魔。爆破こそ未然に防ぎ、ギリギリまで追い込んだけれど、手負いにしたものの捕まえることは叶わなかった。いわばこれは当時の彼らにとっての未解決事件でもある。そんな事件の犯人であるプラーミャを最後に追い詰めるのが降谷零であり、そして日本警察だったこと。あの時仲間に飛ばされて追いかけて一歩届かなかった相手に拳を届かせた。墜落するヘリに飛び移る降谷零は、三年前の続きの光景。あの時に助けてくれた仲間達はもうそばにはいないけれど、彼らの残してくれた技術、信念、一発の弾丸が、一緒になって降谷零を助けてくれた。

もしあのままプラーミャの乗ったヘリが墜落していれば、どのみち地上にいる警官たちによって捕えられていたかもしれない。だけどこの事件に関しては、同期達の残したものと共に、降谷自身の手で決着をつけることに意味があったのだと思います。

エンディングで、仲間達との写真を前に献杯を捧げる降谷零。警察学校時代から一緒に沢山の無茶をしてきた彼らなら、ヘリに飛び移って自分の拳ひとつで立ち向かったことに、ゼロらしい、なんて笑ってくれたりするんだろうなあ。

警察にとって、犯罪者を捕まえて法のもとで裁くことが使命である。プラーミャの犯行をこの東京で終わらせたこと、今回の事件に関わった全ての刑事たちにとって、何より報われる結果だったと思う。


今回の犯人であるプラーミャはテロリストであって、100%の純粋なる悪。ミステリー、刑事物としては、勧善懲悪としてのすっきりとした結末になっていることも良かった。ラストのエレニカたちに関しては、古き良き刑事ドラマにあるような、人情ものっぽさもある。

観た後にもやが残らない、晴れやかな気持ちで劇場を後にできる。考えさせる物語ももちろんいいものだけれど、こうして誰もが「よかったね」と前向きに終われる作品は、25作目にとてもふさわしいものでした。