劇場版感想記録

劇場版名探偵コナンの長めの感想をまとめて記録します

初見感想全文

※ふせったー投稿分の再掲です


ハロウィンの花嫁、見終わってこんなに心にじんわりと染みてくる優しさを感じて泣いたの初めてでした。


過去と現在と、所属や国籍の違う人達と、今も大切なままの仲間と、そういう繋がりのようなものがひとつ、この話の軸にはあったように感じた。意図した訳ではないけれど今この作品が世に放たれて、傷ついた人にもそっと寄り添ってくれる、ひとりじゃないよと伝えてくれるような温かさは見る人全てに優しいなあと思う。

 

人は死んだら思い出の中でしか生きられないけれど、思い出の中でいつもどんな時もそばに居て助けになってくれる。ハロウィンの花嫁ってそういう物語なんですね。


事件を紐解くヒントになったのは松田が三年前に渡した名刺で、そもそもプラーミャをここまで追い詰めることができたのは三年前に警察学校組の四人が警察官としての矜持を全うしたから。当時も今も爆弾から大勢の命を救ったのは、萩原の何気ない行動からだった。今はもう亡き人たちの残したことが全部綺麗に繋がって、三年後大きなテロを食い止めた。ひとつひとつの行動を振り返れば全部何気ないことばかりだったかもしれないけれど、無駄ではなかった、というか、遺された人たちが無駄にはしなかった、というのが正しいんだろうな。「命懸けで手に入れたんだ、無駄にはしない」という作中のセリフはコナンくんに向けられてのものではあるけれど、それは作品全体にもかかるものにもなっている。


特に故人との関係が散りばめられていたからというのを踏まえても、他者への尊重がずっとベースにあるのを感じたので、淀みのないとても綺麗なお話だった。わたしの好きな名探偵コナンってこういう作品だったな、とまた改めて思い出させてくれる。


江戸川コナンの探偵としての信念、どんな非情な犯罪者であっても死なせない。それはどの劇場版でも一貫していることだけれど、信念の貫き方が変わってきた。探偵として真実を追求するとことは正しい。それでも正しいだけではどうにもならないことも世の中にはあるし、執行の草壁検事のように、正しさを追い求めすぎて道を誤ってしまう人もいる。


そして何より、悪人を許さないために復讐に手を染めることを正しくないと追求した結果死なせてしまったのが成実先生で、あの事件こそが江戸川コナンという探偵に「たとえ犯人であっても死なせない」という信念を抱かせるきっかけになったものだった。あの時どうすれば助けられたのか、歯痒さも悔しさも経験してきた今のコナンくんだからこそ、人の苦しみに寄り添うという選択肢を持てるようになったんだろうなと思う。復讐者だって、本当はそんなことしたくてしてるわけじゃない、それを上回るほどの苦しみ悲しみがあるんだと気づけたことは、彼にとってすごく大きな成長でもあった。ここでも過去の経験が残してくれたものが、巡り巡って一人の復讐者を救ってくれたんですね。

「プラーミャの息の根を止める」という意味だった「ナーダ・ウニチトージティ」という言葉が、コナンくんによって「テロによる悲しみの連鎖を止める」という意味に変わるの、なんて鮮やかで美しいんだろう。


執行の時のテーマでもあった「真実はいつもひとつだけれど正義は涙の数だけ」、単なる広い意味での正しさだけじゃない、なんというか人の情も含んでいるように思えます。ひとつの正義が必ずしも正解ではなく、その時その人のための最善を選べることもまた、正義と呼んでもいいのだと思う。


執行では利害関係の一致で繋がり最後は別々の道を歩んで行ったコナンくんと零くんの二人が、今はもっと確かな信頼関係のもと同じ方向を向いて協力し合えていることにもとても感慨深くなった。お互いにただこの事件を止めたい、人を死なせたくないという一心で腹を割って手を尽くすことを惜しまない。降谷零は確かに孤独な人ではあるけれど、彼の中には今でも頼もしい仲間達がいて、彼らが残してくれたものがきちんとあって、そして今は今で心から信じることができる人がいる。元々完璧じゃなかった彼は、仲間達に助けられて強くなった。矛盾しているようだけれど、降谷零の孤独は独りではない、そう思わせてくれる描写ひとつひとつに涙が出ました。


誰か一人が全部を背負うのではなく、全員で力を合わせての結末。捜一も公安も、ナーダ・ウニチトージティのメンバーも、今できる最大限で必死に守ろうとしていた。心強い仲間の存在というのが最初から最後まで描かれていて、その瞬間に流れるのが「キミがいれば」。あの場にいた人たちそれぞれに「キミ」がいたから、未曾有の大事件を止めることができた。劇場版クライマックスの代名詞みたいな名曲で、第一作からのこだま監督時代を見て育ってきたファンにとって、こんなに感情を揺さぶられることもないです。

クライマックスにメインテーマが流れる演出は踏襲されてきたけれど、「キミがいれば」が最後に流れたのはもう随分前になり、懐古厨のひっそりとした夢として「またクライマックスで流れる『キミがいれば』を劇場で聴きたい」とつぶやいたりしていました。2022年、まさかそれが叶うなんて。

今回劇伴が大野先生から変わるとのことで、流れてくるBGMが洒落て新鮮でかっこいい!と思いながら、反面あの大野先生のサウンドがないことに寂しさも感じていたのですが、「コナンといったらこれだよね」を王道の形で見せてもらえたことに、驚きと感動で初見の時は椅子の上で飛び上がりそうになった。


ここ数年の感想で毎回言っていることだけれど、長く続けていくためには変化も必要で、時代が新しくなるように作品だって新しくなっていくのが自然な流れではあるのだけれど、それでも昔の良さ、ファンがずっと好きでいる部分はぶれないで残されていることに涙出るほど嬉しくなる。勝手な受け取り方かもしれないけど、ずっと好きでいてくれてありがとうって言われているような気持ちになる。

これまでの原作、劇場版の長い歴史をひとつひとつ大切にしてくれているんだなと感じました。


大切な思い出に寄り添う、それは作中の人々だけでなく、ハロウィンの花嫁という作品そのものにも言えることだった。余談ですが、世紀末の魔術師ではロシア語の「思い出」という言葉がキーになっていたなあと思い出しました。ハロウィンの花嫁を見た今、また一段と深く噛み締められるような気がします。

ふと昔を思い出すこと、秒針の止まった記憶、それらは決して過去に縛られているのではなく、君のいない世界の中で息をする理由に応えたいという、生きる人たちの歩みである。大切な人たちとの思い出に助けられた物語の最後に添えられた一曲は、夜明けの景色のような暖かさだった。

この濁りのない余韻、胸にじんと沁みるものをゆっくりと噛み締めたくなる心地は、沢山の思い入れ含めて今も変わらずに大好きな劇場版黎明期の懐かしさにも似ています。


初回を観に行った時、同じ回に来た子供がすごく楽しそうに「コナンだよ!」と言いながら客席に駆けていくのを見かけて、昔の自分を見てるようでした。今コナンに出会った子供達が、10年、20年経っても同じように好きでいてくれたらいいなと思う。わたしも26年経ってもやっぱり好きだなあと思えることが、どんなに幸せだろうか。


毎年同じ言葉で感想を締め括れることにありったけの感謝を込めて、今年も本当に、ありがとう!